廣瀬隆喜さんインタビュー
ボッチャとの出合いが自信をくれた
ボッチャのリオパラリンピック代表、廣瀬選手にお会いしたのはいつも練習をしている、千葉県にある福祉施設の体育館。練習の付き添いは、ずっと廣瀬さんを見守ってくれたお母さんです。引っ込み思案だった子供時代から日本代表へ。ボッチャとともに成長した14年を振り返るようにお話を聞かせてくれました。
「頼りになるお兄さん」
取材の日、廣瀬さんに声をかけてきたお年寄りがいました。両手に障がいがある女の子にボッチャを体験させてあげたいけど、いらないボールはないか、という相談でした。ボッチャのボールは安くはなく、練習に使えないようなものでもいいから手に入らないか、というお年寄りに、廣瀬さんは「いいですよ。(心当たりを)聞いてみますね」と笑顔で答えていました。
「やりたいといったらなんでもトライさせる」
今は日本ボッチャ界をひっぱる廣瀬さんですが、子供のころは「障がいのせいもあり、引っ込み思案で人見知りな子だった」(母、喜美江さん)そうです。
生まれつき両手両足に障がいがありましたが、喜美江さんは廣瀬さんが小さなころからできるだけ外に連れ出すようにしてきました。「スポーツも、障がいがあるからできない、じゃなくて、やりたいといったらなんでもトライさせてきた」。
「コツコツ成果をあげるのが性格に合っていた」
体を動かすことの好きな廣瀬さん。中学から通った特別支援学校でビームライフル(射げきの一種)、陸上などのスポーツを体験した後、ボッチャに出会ったのが14年前。まだまだマイナーなスポーツでしたが、びみょうな力加減、投げる角度、戦術の組み立てなど、「コツコツ練習すればうまくなる。満足感もあるところが性格にあった」と喜美江さん。廣瀬さん自身も「ボッチャで(成績を上げることで)自信がついて、人見知りがなおったかな」と照れながら話してくれました。
「みんなでやったほうが楽しい」
パラリンピック出場を目指して練習する一方、学生時代の障がい者の友達や後輩に「一緒にやろうよ」と声をかけ、ボッチャ仲間を増やしてきました。「一人でもくもくと練習するのもいいけど…みんなでやったほうが楽しいから。スポーツってなんでもそうですよね」「最初負けていても最後まで逆転の可能性があるところが一番面白い」という廣瀬さん。見ている人が気づかないようなこまかい技と、先を読み裏をかく将棋のような頭脳戦も、飽きずに続けられた理由だそうです。
「ボッチャ人気急上昇の立役者」
ボッチャの良さは参加できる人の幅広さにもあります。自分で投げられないほど障がいが重い人でも、ランプという滑り台に似た器具を使って技を競うことができます。日本ボッチャ協会に登録している競技人口は平成27年時点で511人(介助者含む)と、ここ数年で徐々に増えています。「ちっちゃい子からお年寄りまでみんなが楽しめる。ぜひ試してみて」という廣瀬さんは、スポーツをやりたいけれど一歩ふみ出せない、という障がい者やお年寄りにとってはたのもしい存在ですね!